ヴェンダース監督1994年の作品。 (おそらくヴェンダース自身が投影された)録音技師、ヴィンターは友人の映画監督フリードリヒの手紙を受け取る。 撮影済みのフィルムにアフレコを付けてくれとの依頼、途中思わぬ車のトラブルに見舞われやっとの思いで辿り着いたリスボンに彼の姿は無い。 ヴィンターを監視するような少年の影、フリードリヒを助けてやるからと金をせびる怪しい男、なにやらキナ臭さが漂う中「ディーバ」テレーザの登場で場は一変する。
彼女の出現、そしてその歌にこそ、この映画の意味が込められている。 歌声は物語となって大河テージョの如くリスボンをゆったりと流れ、水とともに時を運ぶ。 ファドの系譜を進化させ洗練された彼女のヴォーカル、これぞリスボン、「歌声に酔う」のは意図された必然的な展開なのである。 美しい旋律に寄り添うような言葉(歌詞)、大西洋から吹きつける風のはためきのような歌声は全身に浸みわたり、聴く者を捉えて逸らさない。
終盤、行方不明だった映画監督が現れ、映画史の原点を求めて二人でリスボンを撮影して回るのだが、そのあたりのストーリーは曖昧でさしたる意味を持たない。 一連のヴェンダース作品の中における、音楽との深い結びつきを再認識する作品である。
20数分の特典映像、テレーザの語りは撮影後20年近く経過した今、映画以上の意味を帯びる。 部分的ながら字幕に違和感があるのが残念、しかしこのことが映画の価値を損ねるわけではない。
なぜか気になる本だったので読んでみることにした。
哲学小説という聞きなれない分野、聞いたこともない作家、 アメリカやイギリスというなじみのある国のお話でもない。 でも、なぜかひかれて読み始めた。
グレゴリウスがあるできごとにより今までの生活をすて 自分の街、仕事、住まいを後にする。 そこが強調されて紹介されているが、それは物語の始まりの始まり。
アマデウ・プラドの本に出会い、それは母国語でもないのに苦労して読み進む。 その文章が太字で表示されながら、グレゴリウスとともに読んでいく感じ。 哲学小説といわれるのは、この文章があるからだろうか。 深く理解しようとすると、そこで挫折するのではないかと、適当に 読んでいく。よくわかる文もあり、納得して、うなづきながら読める文もある。
プラドをめぐる人々が興味深い。 それを追いながら、グレゴリウスも変化していくのが 飽きさせない。
ひきつけられるストーリーだ。
読後、何か、課題を終えたような達成感を味わえた。
おもしろかった。 敬遠せずに読み始めたら、夜行列車に身をおくように 導いていってもらえるような気がする。
ヴィム・ヴェンダーズ監督の映画「リスボン物語」のサントラです。この映像とマドレデウスの音楽、そして歌姫テレーザ・サルゲイロの黒髪に魅せられて、私はリスボンへ旅立ちました。アルバム「アインダ」を聴きながら旧市街の坂道を散策したり、狭い石畳の道路を走る路面電車の車窓から眺めて聴いたり。ひとり旅だった私には彼らの音楽が旅の友人でした。「アルファーマ」をアルファマの街中で聴いてみて下さい。
静かな曲、激しい曲、有名な曲、無名の曲、それぞれが何の脈絡もなく2枚のディスクに盛り込まれています。38曲も入っていれば当然知らない曲が幾つかあるので、添付された曲ごとの簡単な解説本が役に立ちます。 クラシック音楽の「よく聞く部分」だけを楽しみたい人には適していると思います。 目当ての曲を聴くために購入したら、別の曲が気に入る、というオムニバスのいいところを堪能できるはずです。
ある眠れない夜、深夜番組で面白いものはないかな?と探していたときに、このリスボン物語に出会いました。 淡々と進んでゆく静かな映像がとても印象的でした。悪く言えば退屈、ということになるかもしれません。退屈なのに、なぜか美しい映像に心を奪われて、見続けてしまう、という感じです。それと、この映画で用いられている音楽も、非常に印象的でした。見た後は、とても心が穏やかになる感じでした。 一度見ると、美しい空と海のリスボンをおとずれたくなってしまうと思います。
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