タイトルがすごいが、吉屋信子の作品には処女という言葉が何度も出てくる。無粋で乱暴な男に散らされていない、清らかで穢れなく、女性本来の女性、として私は素直に処女という言葉を納得してしまった。女学校卒業後、専門学校に通う「心に要を欠いた」章子はそれまでの寮を出てYWAに部屋を借りる。寮が満員とのことで、得られたのは青いペンキで塗られたにわか作りの屋根裏部屋であった。初めて自分の部屋を持った章子の満足と恍惚と寂しさが多くの形容でこってりと書かれる。そして、目的を欠いた毎日の中で、同じ寮の綺麗な異端者を恋うる思いが次第に募ってくる。二十三歳の「若書き」ではあるかもしれないが、技術で操作されていないぶん苦悩はリアル。「自分のしたいことが見つからないが、周囲に言われるまま学校に通っている」という人には時代を超えて響くところがあるだろう。そして、女性を押しのけて我先に電車に乗り込む男たちの姿が与える失望は、現代も同じ。
花物語は、大正5年(1916年)〜大正13年(1924年)に少女畫報に掲載された連作短編集で、 52編を上下巻にまとめたものです。この上巻は33編を収録します。 最初の「鈴蘭」から「月見草」「白萩」「野菊」「山茶花」「水仙」「名もなき花」までは、 7人の少女が集まって花にまつわる話を披露するという趣向から始まりました。「鈴蘭」が 掲載された時、吉屋信子は若干二十歳そこそこでした。そして、これが職業作家としての出発点になった作品となりました。
花物語は、少女たちの出会い、友情、別れにまつわるエピソードが15〜30ページ程度の短編で 構成されます。ここには少女たちの年齢に釣り合う少年など男性は登場しません。友情も 友情以上の感情も少女同士もしくは女性教師といった女性だけの世界で成り立っています。 その繊細な心情が独特の美文調の文章で綴られます。 少女を読者にしている少女小説なので、文章は平易ながら美しく、しかも意外とモダンです。 大正デモクラシーといわれても、まだまだ庶民は旧時代の風習にとらわれていることが多かったはず。花物語の世界では、西洋の文化(文学や音楽)がふんだんに取り込まれています。 上巻で印象的なエピソードは、「雛芥子」「白百合」「燃ゆる花」「釣鐘草」でしょうか。 特に「燃ゆる花」は力作。花物語もこのあたりから女性同士の愛情について踏み込んでいく 作品が増えていきます。 大正時代に書かれた作品ですが、今読んでも瑞々しさを全く失っていないことに驚かされます。もっとも、現代の女学生の皆さんにとっては、「セルの袴」「銘仙」といった服装や髪型の描写はピンとこないと思います。このあたりは巻末注でもあった方が親切かも知れません。
『わすれなぐさ』は凄くいい! 現代というぎすぎすした時代にうんざりしている乙女なら、絶対にこの本を読むべき。もう、一行読んだだけで、ロマンチシズムを追い求めし時にテレポーテーションできる! あと、本編もさることながら、嶽本野ばら氏による解説も幾何学的で美しいし、同じく氏による注釈も斬新で面白い。とにかく乙女万歳といった感じだぞ。
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