学者であり歌人である著者…私もあまりにも違う分野で活躍しておられることに違和感を抱きましたが、どちらも「探究」するという共通点で結ばれているのだと感じました。
亡くなった歌人でもある奥様との残された日々の歌は、淡々としているようで、気持ちを深く静かに沈められるように胸にせまりました。
…とレビューを書きつつ、著者も本書で書いておられる 「…単に美しいと言えば、誰にでも言えるだろうが、しかし、自分はどのように美しいと感じたのかを言うことは、思うほどには簡単ではない。」 という言葉が改めて刺さります。
短歌は今まであまり感心のなかった分野ですが、いろんな歌を知りたいと思いました。
後半は学者である立場からのエッセイが多く「知らなかったことを知り、それを知ろうとする喜び」の楽しさを伝えてくれています。
読んで後悔なし。(以上でメッセージは終わりなのだが、アマゾンの規程により、少なくとも30文字以上の内容が必要とのこと)
「野ばら」に出てきた銀色と黒蜜糖、月彦の「野ばら」とは違った物語・・・ コップを洋杯と書くなどいつもはカタカナで書かれる言葉を漢字で書くことによって話にあった古い感じがでています。また、今では余り見ることがない文字(旧字体、ゐ、ゑ等)が使ってあることによりいつもの見慣れている日本語が不思議と新鮮さがましより幻想的効果を持ってきています。 一場面一場面がまさに絵として浮かびあってくるような言葉の美しさがあります。 そして、同じ本に収録されている多数の短編は他の作品とのつながりがあるものも多いので、他にどのような作品があるのかを知るめやすとしても使えます。 話自体とは関係ありませんが、表紙裏には作者の手書きの文字印刷されています。とても綺麗な字なので凄くよい効果となっています。
「シクロ」路線ではなく、「青いパパイヤの香り」と同じ世界です。 しっとりとした映画。3人姉妹のそれぞれの生活、夫や恋人との関係などなどが淡々と描かれます。説明は少し少ないくらいなのに、テンポよくストーリーが進んでいくので、どんどん引き込まれてしまいます。 いつも雨が降っていたような、、、そんな記憶が残る映画です。
トラン・アン・ユンの作品に関して、よく「官能的」「エロティック」というクリーシェが使われる。『青いパパイヤの香り』にはその表現が当てはまるがこの映画はちょっと違うと思う。焦点は明らかに三姉妹を取り巻く人間関係に当てられている。旧作よりももっと人物描写に踏み込んだ大人の映画だ。フェティッシュな視線からヴェトナムの「静」の側面を耽美に語った『青パパ』、ホーチミンの猥雑な熱狂をヴェトナムの「動」の側面として描いた『シクロ』。同じように本作を一文字で表現するなら、両作品の中間に位置する映画として「流」という言葉を充ててみたい。ヴィヴィッドな光景と緩やかなリズムのなかで美しい女たちの心が揺れ動いている。
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