「鼻」
原作、芥川龍之介 監督、李 相日[リ・サンイル](『青〜chong〜』『フラガール』)
キャスト、松重豊 井川遥 小山楓 ほか
「化け物…触るな!離せ!!」
芥川の「鼻」の後日談として描かれた作品。 時は平安、京の高僧であった男がある村に流れ着いた。 顔を半分すっぽりと隠し、眼だけがぎょろりと鋭い。 村人は奇異な僧侶をいぶかしみ子供達は出て行けと石を投げつける。
そんな折、僧侶に石を投げていた子供が叱られた弾みに川へ落ちる
とっさに助けようと川へと進み子供を抱きとめる…、 しかしその時僧侶の顔を隠していた布が取れた。
異形の鼻を持つその姿に怯え、化け物!!と罵る子供 僧侶はその言葉と怯えた姿に憤り助けようとした子供を川に突き放してしまう。
この時から僧侶は己が人殺しである罪に苦しむ。
事情を知る由もない村人は僧侶に川へ流された子供を冥界へ行く前に連れ戻して欲しいと頼みにきた。
逃れようのない罪悪感からか、僧侶は祈祷を行うが、そこへ確かに川へ流れていったあの子供が現れた。
子供を冥土より連れ戻したと生き神のように崇められる僧侶
自分が死なせたはずの子供が生き返り、さげすまれた己が神と手を合わされ拝まれる。
子供への怯え、罪への苦しみ、己の鼻の醜さへの葛藤
罪を告白し、村人に制裁される僧侶が最後に子供へ向けて浮かべた微笑が印象的だった。
「醜いのは鼻ではなかったな」
・メイキング感想
見所はなんと言っても松重さんに施された特殊メイクの奇怪な『鼻』 長く、腫れた様に垂れ下がり、色、形ともに恐ろしい形相だった。 この鼻を装着する事で松重さんの低い声は更にくぐもりなんとも迫力のある声になる。
子供の延命を願う母親の役は井川遥 なにぶんとても美しい方なので衣装でどんなに汚れていてもこの設定の村人にしては美人過ぎる。 しかし井川さんが持つ独特の薄幸な雰囲気は役に合っていると思った。
この鼻が大きく腫れたような異形の僧侶という設定に私自身なぜか懐かしさを覚え、記憶を辿ると小学生の時に貪るように読み耽った手塚治虫の漫画「火の鳥」にこのような容姿の男がよくキャラクターで色んな話ごとに登場していた。 芥川の「鼻」をモチーフにして描いていたのだろうか気になる。 芥川は「今昔物語」の一節からこの「鼻」を執筆したそうだ。 どちらも読み比べてみたい。
こちらも余談となるが、鼻の特殊メイクをされた松重さんがどう見ても即席の「鼻吊りヘアバンド?」のようなもので鼻を吊って必死にお茶を飲んでいた姿が可愛かった(笑) あまりに不自由しているのでそっとストローを差し出したくなってしまう(笑)
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「後の日」
原作、室生犀星 監督、是枝裕和(『誰も知らない』)
キャスト、加瀬 亮 中村ゆり 澁谷武尊 ほか
「よく来てくれたわね…ずいぶん長いこと待っていたのよ」
子供を亡くした夫婦の元へ、死んだ子供が生きていたら…その歳格好の子供が突然ふらりと現れる。
妻も夫も一目で「死んだ息子が来てくれたのだ」と悟り、 食事を作り、おもちゃを買い、共に過ごすなかで心満たされる。
しかし、夫婦は解っている。 子供は生き返ったわけではない、「来てくれた」のだと…。
子供は母親に甘え、父と遊び、生まれたばかりの妹には戸惑う そして夜には何処かへ帰ってしまう。
死んだ子供の来訪が、それまで息子の死によって冷めていた(心が死んでいた)夫婦に優しさと穏やかさを取り戻させてくれる。
しかし息子は本当に死んだあの子なのか? そんな疑問を抱きながら、夫婦は辛い思い出のあった家を引っ越す事をやめ、息子が来てくれる家に留まり暮らそうと決める。
息子が帰ってゆく時に母親が手編みの靴下を取り出し、左足を母親が、右足を父親が履かせる。 このシーンが印象的で、このドラマのクライマックスに思えた。
一歳で死んだ息子が棺に入れたのと同じ靴下を編んで、来てくれた息子に履かせる。
あなたはあの子なのだ、と夫婦が息子に伝え、自分達もまた認めようとする行為に思えた。
・メイキング感想
「ふるさとは遠きにありて思ふもの…」
このあまりにも有名な詞が室生犀星の作品と私はこのドラマで初めて知りました。
室生犀星の子供時代、そして自身もまた生まれて間もない息子を亡くしているという自伝が紹介されている。
劇中で息子役を演じた澁谷武尊がドキュメントパートにも登場し不思議な存在感を演出していた。
新鮮な詩でした。ファンになりました。小説は読むかは微妙ですが、詩には惚れました。お薦めですよ。
病院の帰りに吉本隆明の「老いの流儀」を買ったら谷崎「瘋癲老人日記」川端「眠れる美女」とともに、「われはうたえどもやぶれかぶれ」が老いを描いた傑作と書いてあったので、手にとってみた。自分の身体の調子が悪いので、性を描いた他の二作は読めずに、、「われはうたえどもやぶれかぶれ」は読めた。病院のレントゲン室で待つ描写など誰でも病院に行った者なら身に覚えがあるだろう。ただ自己暴露的な傑作ではあるのだが、文章の訓練をしてこなかった私が崩壊する身体を背負って何か書くのは難しい。
作品としては古き良きNHKらしい上質な出来上がりです。原作がとても良く再現されていて、今でも通用しそうなカメラワークや台詞、また俳優陣の演技で当時の制作現場の技術レベルと熱意が伝わってくる作品になっています。ですが、今の水準に慣れている人にはいかんせん画質が悪すぎます。ちょうどVHSのEPモードとSPモードの中間ぐらいでしょうか(特性的には三菱ではなく日立的です。理解してもらえるでしょうか?)。32型のテレビでモニターしても顔のつくりがハッキリしません。ちょっと残念です。デジタルリマスターして再販して欲しいのですが、損益を考えると・・・ ただし日本のドラマ制作史上貴重な作品の一つには間違いないので、このDVDが存在すること自体が一つの英断であると称えられてもおかしくないと思います。
この本には、室生犀星の自伝的小説三編が収録されているが、 その三つに共通しているのが女性への憧憬である。 「幼年時代」では実の母と義姉への愛慕、「性に目覚める頃」では自身の女性への肉欲との葛藤、 「或る少女の死まで」では、主人公と二人の異なる少女の触れ合いと別れが描かれている。 どれも女性美を称え、また愛する女性との別れを嘆くものであるが、その形式はかなり異なる。 第一作では主に肉親としての女性への愛、第二作では思春期の主人公の女性に対する性的興味と恋愛感情、 第三作では少女に対する、可愛らしいものを愛するときの純粋な気持ちが描かれている。 一応三編とも別作品であるが、主人公の女性観の発展と成熟の過程とみることもできよう。 それを意識して読むと、なおよいと思う。
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