授かった3人の息子が、
それぞれ様相の異なる障害児だったという佐々木夫妻。
妻の志穂美さんの子育てに奮闘する軽妙なエッセイと、
夫の博之さんの息子への2通の手紙で構成されています。
冒頭の博之さんの手紙はとにかく感動的。
『歩くことさえ無理……。
ううん、洋平。
おまえは走るんだ。
何年かかってもいい。
何十年かかってもいい。走るんだ。
どんなに遅くたっていい。
世界中で一番ビリってことはけっしてない。
父さんが、必ずおまえのうしろを走ってやる』
この手紙からスタートする20年の家族のドラマは
障害児を持ったこともない私にも
たくさんのことを教えてくれました。
生きるって、それだけですばらしい。
家族って、やっぱりすてき。
毎日の生活のなかに、小さな幸せがいっぱいあること。
小さなことに悩んだり、
人と比べてしまったり……。
そんな自分のありようが
この1冊で少し変わった気がします。
反原発の立場にある複数の論客が、
それぞれ異なるバックグラウンドから
震災・原発問題に対する体験や取材・活動に基づいた
分析・提言を行っている書籍です。
佐藤栄佐久氏以外の著作は読んだことが無く、
より多方面から原発問題を捉えるのに有用だと思います。
小出裕章氏:
原子力の専門家の立場で40年以上も原発に反対している方で、
社会的な問題から科学的な問題までかなり網羅されていると
見受けられました。遅ればせながら彼の著作を読もうと思います。
西尾幹二氏:
保守派論客としての印象が強い方ですが、
エネルギー問題をイデオロギーで考えるのではなく、
合理的にクールに考えようと述べています。
右、左に単純化するのは間違いだと思います。
佐藤栄佐久氏:
経産省+東電の原子力政策と闘った前福島県知事が、
その隠蔽体質の問題点と、地方自治からの観点から
原発問題を斬ります。原発マネーで地域が潤うのは
一過性のもので、麻薬患者のように原発に依存してしまうと分析しています。
福島原発の真実 (平凡社新書)を読むと更に理解が深まります。
桜井 勝延氏:
東日本大震災により被災した南相馬市の窮状等を積極的に訴え、
米国タイム誌から、2011年版の「世界で最も影響力のある100人」
に選ばれた市長さんが東電に無作為を批判します。
合併によって生まれた市の中に20km圏内・30km圏内
30km圏外の区域があり、平成の大合併の弊害を知ることができます。
恩田勝亘氏:
原発問題の取材暦が長く詳しい、フリージャーナリストで、
原発建設を断念させることに成功した浪江町の
被災者にふりかかる不条理さを書くところからはじまります。
原発立地自治体・周辺自治体の社会的問題点や
住民意識がわかる内容となっています。
星 亮一氏:
幕末・戊辰戦争などを題材にした歴史小説家で、
お墓に避難すると遺書を書いて自殺された老女の
エピソードを通して国・県の無作為を非難しています。
玄侑宗久氏:
芥川賞受賞経験のある僧侶の方で、政府が主催する
復興構想会議のメンバーです。
氏の雪月花というブログの内容を編集したものです。
福島県三春町在住で、実体験と活動を通した、
ヒューマニズムに溢れる文章です。
浜通りから遠く離れた会津地方も同じ福島でひとくくりにしてしまう
ことに対して、国・県・マスコミを批判しています。
また、保証金のために出荷のあての無い農作物を
作ることを指示する農協に対する批判もされています。
芥川賞受賞作家であるだけに文章はウマイが、妙になれなれしくまとわりついてくる感じがあり、読者によって好悪が分かれよう。 一方、西洋哲学やニューサイエンスの知識をすぐ持ち出してきては付き合わせる傾向が目立ち、かえって分かりづらい…。これで根拠付けしているつもりなら、ちょっと違うのではないかと思われる。 タイトルや章扉のデザイン、文中における太文字の使用、巻末の禅語索引など、この本をささえている編集の仕事ぶりが見事。
2〜3度読み返しました。
そういう価値のある本だと思います。
独特の語り口調で肩の張らない生き方というか彼の人生の感想を語ります。
変わらないものはない。
少し難しい部分もちょっとありますが、読みおわると重いリュックを下ろしたあとの開放感を感じます。
もちろん、リュックを下ろすまで重いものを背負っていたことを忘れていたほどに。
不思議と苦しい時や辛い時にパラパラとめくって思いついたところから読んでます。
何度か読むとそのときの心にあった答えが毎回出てくるのが不思議です。
これからも読み返すことになる良本だと思います。
この世界で無邪気に振る舞う科学の横暴を制止することもできずに戸惑う現代人に対して宗教者、僧侶はどう応える? 分別(有/無)の世界を超えた冥界、あるいは異界という存在の肯定は、オカルトすれすれだが、しかし玄侑氏は背を向けず、真摯に真正面から描こうとしている。
科学的世界観の否定は即、現代の世界を否定するものでない。登場人物たちは科学的合理性からややずれたところにいる人たちで、ある種、近代人が失った「あちら」の世界を垣間見たり、自在に行き来できたりする能力がありながら、心に影をもって生きている姿がここには描かれている。
この小説は生と死が捩れて絡み合った煩悩に苦しむ現代人の救済を描こうとしている。仏教徒として今何ができるかという問いがある。 紙縒りという道具が宇宙の象徴にまで昇華されていくクライマックスはとても印象深く、祈りのもつ強さを感じ取ることができるだろう。
併録されている「朝顔の音」という短編も、また生と死が二分された世界に生きる現代人の引き攣れを描いた佳作である。生と死が一瞬交差する濃密な捩れに出会えば、私たちもまたヒロインとともに訳もわからずただたじろぎ、途方に暮れるほかないのかもしれない。 朝顔が地上と天界(生と死)を繋ぐイメージを造形する筆の運びはなかなか巧みで感心した。
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