宮城県・岩手県沿岸被災地の、幼稚園生から高校生までの80人の作文集。子どもは勿論、活字が苦手な大人でもすんなり読める、貴重で歴史的な体験記になっています。鉛筆の粉で少し黒くなった原稿用紙のページには切実なリアルさがあり、子どもの息遣いや記憶を呼び起こそうとする真剣な瞳まで感じられる気がします。
あの日何があって、いかに日々をつないできたのかが、飾り気のない生の言葉で綴られていきます。溺れてゆく人やたくさんの遺体を目の当たりし、破壊された町の中で暮らしている子ども達の一体どこから、支援者への感謝、今までいかに幸せだったか気づかなかったという自省、復興に頑張りたい、やさしい人になりたいなどの前向きな言葉が出てくるのか、大きな驚きと深い感動を覚えました。
また、親や兄弟は勿論、祖父母や近所の人達への愛情もそこここにあふれていて、家族、隣近所の原点を改めて教えてもらった気がします。
でもなにより、津波が来た時子ども達はどんなに怖かったか、大切な人やものや故郷を亡くして、今でもどんなに悲しいのか、それにはっきり気づいていなかったことを思い知らされました。一部ではすでに行なわれているようですが、怖かったね、悲しいね、と恐怖と悲嘆の思いを静かに受けとめるグリーフケアなど、心の支援態勢の充実も急務なのではないかと思います。子どもは強くてもろい。なんとか未来に向かい、生き抜いていってほしいと祈るばかりです。
いよいよ、ローマ人の物語・文庫版も最終シリーズです。
ローマ建国の最初、ロムスの丘から始まって、最後に蛮族に滅ぼされるところまで長い長い歴史物語もいよいよその終焉を迎えようとしています。
この長い長い物語。史実に基づいた歴史を主人公のローマ人の立場から、蛮族と呼ばれたガリアやフランクの立場から、そしてまたエジプトの立場から描いたこの長い物語も、いよいよ終わりです。時に英雄ユリアス・カエサルの活躍を描き、ときに三頭体制の崩壊を描き、ときにキリスト教の勃興と国教として絶対神聖化していくまでの道のりを描いてきたこのローマ人の物語は、滋養と示唆とよりよく生きる上でのヒントを読み手に与える歴史書でした。
まぁ、文庫版ではこれを含めてあと三冊あるのですが、ローマの最後の一ページを深い感慨とともに味あわせてくれるシリーズ最終章です。
マキャベリズムというと、
冷酷、残虐というイメージがあるが、
それは表層部分のみをすくった解釈であることは
本書を読めば一目瞭然である。
特に、下々の国民に支持されることの重要性を説いたりと、
意外にも平穏無事な、
行き着く先は立憲君主制なのか?といったような
いわゆる普通の会社の姿が目に浮かんできます。
しかしそれでも
本書の根底にあるのは
非常さであると私は考えます。
カードを切れない君主は
果たして君主として有能だと言えるでしょうか?
無能な君主は存在自体が罪。
この言葉が重くのしかかります。
いかに簡単に分かりやすく書くか、をテーマにしているような理解しやすい文章で思わず引き込まれる。ただでさえカタカナの名前や地名だらけで馴染みにくいので著者も相当に文章そのものに気をつかってくれているように感じる。
ローマがどのように生まれ大きくなっていったか、その鍵は「敗者でさえもローマに同化させる」という一点につきるようだ。この戦略がなければ破壊されたアルバの街の名門ユリウス家も途絶えていたことになる、あのカエサルもローマの懐の深さが生んだものだったとは驚いた。
地図も丁寧でローマやアテネを訪れたことがある人ならば「あ〜だからあの丘にこんな建物があるんだ」ということがリアルに理解できて面白みも増すとおもいます。
塩野七生でローマの歴史にはまったが、 このドラマはさらに人間臭さが生々しく描かれていて非常に面白い。 カエサルを取り巻く女たちの、鳥肌が立つほどの嫉妬からくる怨念、 権力をめぐる男たちの策略、裏切り、貴族と民衆の格差。 史実に基づいたセットや衣装がより一層、深みと感動を与えてくれる。 また、兵士リキウス・ボレヌスとティトゥス・プッロの二人の視点を通して 描かれていることも今までにはなく新鮮。 ローマの歴史を知っていても、知っていなくても、はまること間違いない ローマの歴史を生々しく描いたドラマ。
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