ヴィクトリカがまたしても風邪で寝込んでいる為、そして一弥もその看病?に当たっている為、
今巻は一切、事件は起こっていない。ひたすら一弥がヴィクトリカに物語を読んで聞かせている。
テーマを「花言葉」にした短編連作形態。
『純潔』(白薔薇)…1789年、フランス革命に消えた三角関係の悲恋
『永遠』(紫チューリップ)…1635年、オランダでの花バブルの狂乱
『幻惑』(黒マンドラゴラ)…0023年、中国で国王に一生を捧げた女戦士の伝説
『思い出』(黄エーデルワイス)…1627年、アメリカの女実業家の生育歴
そしてヴィクトリカにアヴリルが語る叔父の話、赤いデイジーに寄せる「花びらと梟」。
これは作中の現代なので、推理と呼んでもいいだろう。続けてエピローグ。
テーマを決めた連作と言うのは、作り手も受け取る側も楽しいものだ。
(画家ミュシャや作曲家ビバルディの「四季」とか、同じくミュシャの「四つの芸術」とか)
しかし今回は実際の事件ではなく、物語や伝記などからヴィクトリアが事実を推理するというのが…
それは「推理」じゃなくて「想像」だろう、と思うのだが…。
『純潔』の章で、愛に殉じる人間を理解し難いとするヴィクトリカは子供で可愛い。
ヴィクトリカのこの反応は、巻末の「花びらと梟」での真逆の台詞で活きてくる伏線になっている。
『永遠』は、少々トリックに無理を感じる(どこに、を描いてしまうとネタバレなので控えるが)。
『幻惑』、マンドラゴラ発見!と騒ぐアブリルとセシル先生に一弥がしたコメント、
「大根…それか、カブかなぁ。にんじんかも(略)」 …待て。人参の葉は似ても似つかないだろう!
『思い出』、エーデルワイスって高山植物じゃないの?と素朴な疑問。
あとアブリルの友人の台詞「くわばら、くわばら」て。思い切り日本固有の雷よけのおまじないだが。
安易な英単語の使用とか、些細な所で「ヨーロッパの小国(仏語圏)」とされている世界観が壊れるのが残念。
エピローグでは次巻で何かが起こりそうな気配。ヴィクトリカの回復と活躍に期待。
待ちに待ったドラマCDです。
この勢いでアニメ化されてもおかしくなかったのですが、時代が早すぎましたね。
今なら(2010年)きっとアニメ化されていたのでしょうが。
もったいないことをした作品です。
京都アニメーションさん、今からでも遅くはありません。是非、アニメ化をお願いします!!
他の方のレビューの評価が高いところで水をさすようなレビューは気が引けるのですが、2巻を終えてもこれでは、単なる「シチュエーション萌え」のヲタ向け漫画と判断されても仕方ないと思います。何なんでしょうね。感動のエピソードを適度に配列して青年と少女の絆が深まってきているはずなのに、この薄っぺらい感じは。思うに、そもそも何故、日本の少女がパリで奉公しているのかを、そろそろしっかり描き記す必要があるのではないのでしょうか。少女の仕草の可愛さ、いじらしさだけでそうそう読者を引っ張れるものではないと思います。
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