映画『逢びき』 恋の始まりはいつも偶然の出逢いから。 輝く太陽の下では誰しも心が開放される。 明るい日差しの下、心地よいそよ風に吹かれ歩く楽しさ、 気分は高揚し、かすかな甘い期待に心は弾んでいる。
そんな時に男と出会う。 誘われるままに軽いきもちで食事をし、オシャベリをし、映画を見て、夫以外の男と日常生活から離れたところで楽しいひとときを持つ。 なにげない世間ばなしが個人的な話題に変わるころから女の心模様も 微妙に変化していき、男の笑顔、語ることば、なにげ無い仕草にいつしか心を熱くしていく。
心はずみ、うきうきしている自分に気づき、心を見透かされる不安と甘いときめきが交差し、女をいきいきさせる。 男へのわきあがる想い。不安な何かを期待する心。やがて男から恋の 告白を受ける。
動揺し、分別をもたなくてはと男を説得するが、その言葉とは裏腹に心はすでに男を受け入れている。 逢うたびに恋心がつのり、秘密が生まれ、不安と喜び、怖れの日々をくり返す。 前のなんでもない生活が物足りなく思え、灰色に感じてくる。
妻を信じきっている夫に後ろめたさを覚えながらも、もう止められぬ恋ごころ。 恋の罠にはまり、嘘に嘘を重ね、どうしょうもなく深みに嵌っていく。
心とからだを解き放し、かつて若き日に夫と過ごしたような新鮮な甘いときめきの日々をもう一度味わってみたいのか、結局は心の渇き、からだの渇きなのか。
やがてくる別れの時、口は重く、ただ互いに見つめ合い、ためいきをつくばかりの二人の前に、招かれざる客のオシャベリな友人が登場し、最後の別れの余韻を惜しむべくなく別れを余儀なくされるのだが、しかし邪魔者がはいったからこそ、あれ以上の深みにはまらず救われた のではないか。
その時に邪魔者に思えても後の人生であー、あれは神のみわざと思い知らされることもある。 それでよかったのである。 人生ああしなくてよかったと思うことは私にも多々ある。 情事の行方は知れている。 甘く楽しいのはいっとき。それから先は煩わしさが待っている。 死ぬまであこがれつづけたいのなら決して一線を越えぬこと。
「いつか過ぎるわ、この苦しみも切なさも、耐えなくては。幸せも絶望も、永久には続かない、人生だってそう。忘れ去る時がくるはず、愚かだったと、思える時がきっと。いいえ、それはいやだわ、すべてを覚えていたい、一瞬一瞬まで、命ある限りずっと」
別れた後の列車の中で女はこう自分に言いきかせ、恋の未練をひきずりながら夫のもとへ帰る。 そして変わり映えのしない単調な日常生活へ戻っていく。 最後に夫が妻の浮気ごころを見抜いていたかのような含みのあるシーンが用意されている。
何か話しかけても上の空で、気もそぞろ、急に悲しくなったり、可笑しくなって笑いだしたり、自分ではちゃんとしているつもりでも、日常生活がおろそかになっている。 そんな妻の変化に敏感な夫ならすぐ気がつくだろう。知らぬは本人ばかりなりってこと。 夫もさり気なく振る舞いながら、実はいつもとは違う彼女の様子をこっそり窺がっていたのだろうか。
しかし、この映画は恋した女の揺れる女ごころが手にとるように正確に描かれていますよね。 確かに毎日一緒に生活し、わかりきったつもりでいる相手とのオシャベリよりも未知の男とのオシャベリ(このオシャベリはボディも含めて)の方がずーっと楽しいし興奮する。 でもねー。不倫は覚悟がなくちゃ。
それと駅の喫茶店の女主人の心の移ろいも、この恋と平行して描かれているのだがこれがまた興味深い。 最初はツンケンして取り付く島のない態度なのだが…それがそれがこれが女ごころというものなのでしょうか。 二人が湖でボートに乗るシーンではイギリスの風光明媚な自然がスクリーン全体に映し出されていてとても素敵でした。 それとこの映画、音楽が果たしている役割も大きいですよね。
全編を通して流れるラフマニノフの低く抑えた旋律が物語に陰影を与え、いつまでも余韻が心に残る作品に仕立て上げている。 好い映画でした。
先日のBS-TV番組でイタリアの小さな村を紹介する1時間番組があり、そのエンデングテーマを聞き、すっかり虜になって、すぐにTV局(NTV)へ往復はがきで問い合わせた。 数日して返事があり、それは「APPUNTAMENTO」で、オルネラ・ヴァノーニの歌であると。 ボビー・ソロやチンクエッティは若い頃聞いたので知ってたが、この人のことは知らなかった。 このアルバムの13曲目に入ってますが、その他、この曲名がアルバムタイトルとしても出てるようです。 タイトルは英語ではAPOINTMENTですが、和訳では「逢いびき」としゃれた名前になっています。 発声は張り上げるでもなく、ささやくでもない、普通の語り口ですが、愛のせつなさ、喜びが見事に表現されてることは、さすが女優出身の歌い手さであることから、感情表現は心を引き込まれるものがあります。 お陰でカンツオーネの名歌手がもう一人、ボクの愛蔵版の仲間入りしました。
1945年の86分の作品ですが、原作はノエル・カワードの30分程度の戯曲でした。映画化に際し、ノエル・カワードは音楽にラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を使用することを条件にしたそうです。シリア・ジョンソンの感情表現が見事ですが、スタンリー・ハロウェイの駅員とジョイス・ケアリーの駅の喫茶店の女主人のやり取りも効果的に使われています。ロバート・クラスカーの陰影のある撮影が美しいです。この500円シリーズには特典映像が無いので星一つマイナス!
2日前の夜、観ました。まだ、ラフマニノフが、聞こえています。ようやく、いつでも、観ることができる様になりました。ハリウッド映画中毒の方達には、どう説明しても、理解できないでしょう。
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