暴君ネロが君臨する古代ローマの頽廃美を描いた作品。確かに、フェリーニといえば、八か二分の一とか、甘い生活、魂のジュリエッタなんかが、フェリーニズムなんていわれるわね。それよりも、さらに、やっぱ「道」ですか。でもね、でもね、彼の映像美学の頂点は、この「サテリコン」だと思うのよ。後の、ローマやアマルコルドもいいけど、なんかイタリア万歳でしょ。彼の作品で一番賛否両論である「サテリコン」を私は一番愛しますわ。だって、あんな作品、誰も描けないし。
エンペラーと同じノルウェーの人気ブラックメタルバンドです。全7曲ですが大作主義でドラマティックな作風です。ディセクションのファンならきっとこちらも好きになれると思います。シングルカットされた2もいいですが3は名曲!
今も昔も変わらない好き者で有名なローマ人の、これは古代ローマのあの時のエロ話であるが、こりゃなかなか奇妙なお話で、我らがヒーロー・エンコルピオスと恋敵アスキュルトス、恋の三角関係の対象となった美少年ギトンの武勇伝である。はてはまた行き交う亡者どもとの恋話であったり、詩作狂いの道すがらであったりといろいろあるが、所詮は、三者三様・他者多様のエロ街道話である。
訳者の解説に個々の人名の日本語訳なるものが書かれていてこれがなかなかのもので、読んでいておもしろい、おもしろい。エンコルピオスは「抱かれる人」、巨大な一物を持つアスキュルトスは「決してへこたれない人」、ギトンちゃんは「隣人」。 まだまだある。解放奴隷で宴会部長のトリマルキオンはセム語で「三度祝福された人」。好色な老詩人エウモルポスは「甘く歌う人」。淫売夫人トリュパイナは「贅沢に暮らす女」。
過激な濡れ場シーンはなかなか出てこないが、最終場面に近い上流階級のご婦人キルケとの絡み場面は凄い。張り切りすぎて神々を侮辱してしまったエンコルピオスは、嗚呼、何たること、不能にされちまう! これからの取り巻き連中の逸物回復作業がこれまた涙ぐましい。あれやれ、これやれで、勃起回復、嬉しいなったら、うれしいなって感じで、世は事もなく、ローマの宵は今宵またまた更けてゆく・・・・・
(エウモルポスの長編詩歌「内乱詠歌」は塩野七生女史のあの「ローマ人」のカエサル部分の参考になる・・・・・)
サテリコン[SATYRICON]は1969年の作品ですから、1920年01月20日生まれのフェデリコ・フェリーニが49歳の作品であり大作なんですね。原案・脚本も勿論のこと、フェデリコ・フェリーニ(+ベルナルディーノ・ザッポーニ)が担当していて、油の乗った49歳の巨匠の頭の中はきっと豪華絢爛なカオスそのものだったんでしょうね。カニバリズム有り、同性愛有り、色情狂有り、ソドミー有り(※注…男色や獣姦など、自然に反した性愛。旧約聖書に記された、悪徳の都市ソドムにちなむ称。)、酒池肉林有り、何でもござれの退廃的imageがエンコルピオが出会う数々の数奇な運命として約130分間にFilmに凝縮されており、見応えは充分有りなのですが、取り上げているのが『人間の退廃』そのものなので、単なる巨匠の大作としてご覧になられた方の中には、美味しい料理を食べに行ったら巨大な魚の顔とニラメッコするハメになった感覚で拒否反応をされる方もいらっしゃると思います。しかし、大技ながらも繊細な血管も映画の中には流れておりまして、なかなかドウシテ私などはサイケな気分でこの1本をお薦めしたい気分になったり致します。『財産相続を願うものは、我が屍肉を食え』の遺言はまるで、人間の悲しさや滑稽さを笑い飛ばす絶妙なpasswordのように見え、フェデリコ・フェリーニが云った「映画づくりというのは不気味でグロテスクな仕事だ」という意味が沢山この映画には含まれているんじゃなかろか?とも思った次第です。29インチ以上の大きな画面、2台のスピーカー以上+大音量でご覧になる事も併せてお薦めする次第です。
普段はあまり観ないフェリーニですが、弥syかったので購入してみました。 フェリーニらしい作品だと思いました。
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