私は、この本の中にこそ、今、とかく、論議を呼び起こしているプロスポーツというものの本質があるように思う。日本人は、とかく、プロスポーツというものに、「興業」と「競技」の整合性を持たせることが苦手のようだが、プロは自分を見に来てくれるお客さんがいる以上は、まず、試合に出なければならないものだということである。球場に、長島を見に行って、「長島は今日は欠場・・・。」と言われたら、それはやっぱり、「話が違う!」とまでは思わないにしても、「何だ、つまんねえ・・・」とはなるわけで、著者曰く、「だからこそ、王も長島も、オープン戦から打席に立ち続けた」と・・・。また、「太平洋クラブ・ライオンズ監督時代、球団は本物のライオンを球場に連れてきて、ファンの歓心を買おうとした。」ことがあったそうだが、著者は、この点も、「日本のファンサービスはとかくこうした筋違いの方向に走りやすい。」と喝破しておられる。まさに、観客は、ライオンが見たいのなら、球場へ行かずに直接、動物園に行く。アイドルや曲芸師が見たいのなら、最初から、試合場や競技場ではなく、コンサートや演芸場に足を運ぶ。観客は何を求めて、足を運んでいるか・・・である。自らの技術を見せて、観衆から報酬を得るのがプロスポーツだとしたら、プロは、観衆をその本業で楽しませ、感動させなければならないのである。また、来よう!と思わせなければならないのである。遠くに球を投げるとか、速く走られるなどというのは、実際に人々の市民生活に無くてはならないものではないということを、選手は今一度、認識すべきであろう。
日経ビジネス人文庫「人から見た昭和史:シリーズ・私の履歴書」の1冊。収録されているのは鶴岡一人、川上哲治、西本幸雄、稲尾和久。4人とも興味深い内容だが川上哲治は書かれた時期が監督辞任直後なのでやや物足りないし、稲尾和久(彼を伝説の名将という括りで取り上げるのはちょっと不適当)は単独で文庫版が出ている。というわけでより面白かったのは鶴岡と西本の分。1946年から1968年まで南海ホークス(前身のグレートリング時代も含む)一筋23シーズン、日本プロ野球歴代最多の1773勝を挙げた鶴岡一人(1916〜2000)。1952年までは選手兼任で内野手としても大活躍した。戦後の混乱期には食料の確保、八百長対策、選手の女性問題の処理などグラウンド外でも奔走したことが綴られており現在では想像つかない性質の苦労がしのばれる。またドラフト制度実施前の熾烈な新人獲得競争や引き抜きにまつわるエピソードはなかなか生々しい。一方1959年日本シリーズ制覇と「御堂筋パレード」の項は胸を熱くさせる。ちなみに鶴岡は外国人選手が入団すると彼らを御座敷天ぷらに招いたという。現在でも天ぷらは外国人が最も喜ぶ和食の一つ。恐らく半世紀近く前の助っ人たちも手厚いもてなしに心動かされたはず。1960年から1981年にかけて大毎(現ロッテ)、阪急(現オリックス)、近鉄の3球団で監督を務めた西本幸雄(1920〜)。3球団で計8回パ・リーグ優勝したが日本一はいずれも逃して「悲運の名将」と呼ばれた。しかし西本はこの呼び方を嫌い「野球人として最高の名誉の場に8度も出ることができたのだから、この上なく運がよかったと感じている」と書く。強がりともとれるが2リーグ分立以後3球団から日本シリーズ出場を果たした監督は西本だけだから確かに「幸運」、というより優れた手腕の持ち主。スパルタのイメージがある西本だが文章を通じて見えるのは厳しい一方で選手と誠実に向き合い、特徴を尊重して伸ばす指導姿勢。だからこそ3球団を優勝させたのだ。とりわけ阪急と近鉄では福本豊、加藤英司、山田久志、梨田昌崇などたくさんの選手を育て上げてそれぞれのチームを初優勝に導いた。弱かったチームを自ら鍛えた選手により強くして優勝まで率いるというのは至難の業。それを2球団で果たした西本はやはり「幸運」かもしれない。
昨年亡くなった母は、まだ家にテレビがなかった時代、編み物とか、裁縫をしながらラジオの野球中継をよく聞いていた。記憶にあるのが、巨人対西鉄の日本シリーズ、そして六大学野球の早慶戦である。母は東京出身なのに、どういうわけか西鉄ライオンズを応援していたようで、たぶんその影響でわたしも子どもの頃、西鉄ライオンズファンだった。稲尾、豊田、中西、高倉、仰木の全盛時代、ライオンズの黄金時代だった。 この本を開くと、記憶にある上記の話は、昭和33年前後だったことがわかる。この年、日本シリーズで西鉄ライオンズは初戦から3連敗、それから4連勝して奇跡の逆転優勝をした年だった。その7戦の戦いぶりの記事と記録が詳しくこの本に載っていて、大投手、稲尾和久の獅子奮迅ぶりがつぶさにわかる。すごいのは第5戦で、何と稲尾が逆転ホームランを打ち、対戦成績を3−3としたこと。その稲尾和久は昭和36年には、年間42勝し、この記録は永遠に破られることはないであろう。 本書には、昭和33年の日本シリーズを中心に、稲尾和久の生い立ち、球界でのエピソード、引退後の活躍が豊富な写真、新聞記事をはさんで記録されている。野球界の貴重な一ページであるとともに、昭和のにおいが漂っている。
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