日本文学を代表する作品ですが,あまり理解できなかったように思います。
この本には、「牛肉と馬鈴著・酒中日記」の他にも、たくさんの独歩の作品を味わうことが出来ます。そして、その物語のほとんどが、あまり明るいものではありません。だけど、読後感は何だかサラリとしています。きっとそれは、国木田独歩という人が、澄んだ眼差しを持っていたからじゃないのかな、と、国木田独歩のことなんて何も知らないのにそんなことを感じてしまう不思議な本です。
『武蔵野』は、私にとって、人生最良の本の一つです。『武蔵野』は、国木田独歩が、失恋の不幸を味はった後、明治29年(1896年)の秋から翌年(明治30年(1897年))まで、その心の傷を癒すべく、当時は水車の村であった渋谷で生活した際、自分が見た自然を言葉で残した作品です。この本の中で、私が大好きな一節を、以下に御紹介します。
−−自分が一度犬をつれ、近所の林を訪い、切り株に腰をかけて書(ほん) を読んで居ると、突然林の奥で物の落ちたやうな音がした。足もとに 寝て居た犬が耳を立ててきっとその方向を見詰めた。それぎりで有っ た。多分栗が落ちたのであらう。武蔵野には栗の木も随分多いから。−−
(国木田独歩『武蔵野』より)
何と美しく、静寂な世界でしょうか。−−かつて、こんな世界(自然)が、本当に有ったのです。−−独歩は、この様な静寂の世界で、神を身近に感じて居たのに違い有りません。
(西岡昌紀・内科医/平成十九年の晩秋に)
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