三浦勇雄氏原作によるライトノベルのアニメ化。土台はノベルが原作なので案外としっかりとしている印象を受けました。むろん、1クールでは全物語の一部しか再現できていないこともあって、どこか物足りなさも感じられるでしょうが、1クール版としてはそれなりの手堅さを感じ、個人的には全話を通して心地よく観れました。
王道戦闘ファンタジーものの亜流ともとれる構成なので、大きな展開を期待すると人によっては味気無さを感じるかも知れません。旅がらす的な冒険も無く、壮大な世界観も無く、登場人物もさほど多くはなく、物語はヨーロッパ中世風の独立交易都市ハウスマンから離れることなく展開します。でも、むしろそこが登場人物の魅力にじっくりと焦点があてられている理由となっています。不気味な陰謀や政治的な思惑が重なり、そこそこ色々なことが起こるのですが日常の描写から大きくそれることが無いせいで主要キャラクターたちの等身大の魅力が堪能できる作りとなっているのです。
物語の背景や未来への展望などが大いに説明不足であるというハンデを補って余りあるのは前記したように主要登場人物らの魅力。騎士でありながら剣の腕はあまり立たないけれど、誠実で心の美しいヒロイン、セシリー。全てを守りたいという熱い思いだけが先走りしてしまうこともしばしばですが、上辺だけの損得ではなく愛と信頼という、とかく忘れられがちな大切なものをしっかりと信念の中心に据えたひたむきな女の子。そんな彼女が出会うのは呪われた過去の出来事に苛まれ塞ぎこむ優秀な刀鍛冶であり剣士のぶっきらぼうな青年ルーク、何故かルークに寄り添い暮らす愛らしく気立てのいい健気な少女リサ、そして数奇な運命に翻弄され続けたあげくハウスマンにたどり着き、セシリーの心からの優しさに触れ親友となる無邪気で姉御肌の不思議な美女アリア。戦いに明け暮れる描写だけではなく、この四人がそれぞれの葛藤を乗り越え徐々に互いに心を通わせていく様子がさりげなく、でもしっかりと描かれています。尺の制約上、細かい設定の説明には深入り出来ていないのにも関わらず、特に四人のそれぞれの魅力溢れる存在感がきちんと伝わってきます。
原作と比べれば様々な点が腑に落ちない作品かも知れませんが、コンパクトな作りの中に戦い抗うことと向き合いながら葛藤する若者の純粋な気持ちが繊細に描かれているあたりもいい。たとえ不器用でも、腕が立たなくても、あくまでも愛と優しさを貫き通すセシリーの一途さに惜しみない拍手を贈りたくなります。戦うこととは、守ることとは、存在することとは、出会うこととは、信頼することとは、思いやり合うこととは・・・そんな生きる上での素朴な疑問に対する一つの答えがセシリーと三人の主要キャラクターたちを中心とした人々の心温まる交流や彼女らが試練と向き合うことによる学びからしっかりと示されてゆくのがなんとも言えず素敵です。
本編だけでは物語全体を把握する上で完璧ではない、が、しかし戦わざるを得ない世界にあって若者たちの日常の心の触れ合いとそれぞれの成長を思いやりをもって描いたこの作品、これはこれで捨て難いよさがあります。ぜひとも続編を!
戦前戦後を通して日本の転換点にたっていた吉田茂による日本近現代史論。 明治維新から敗戦までの日本を振り返り、「日本とはいかなる国か」「日本人の 強みは何か」を歯切れよく語る論文です。 自身、外交官や政治家、首相としてこの時期を駆け抜けただけあって、その言葉 には説得力があり、日本と日本人をみつめなおす第一級の論文といえます。 とはいえ、あとがきでは、吉田氏の命をうけたゴーストライター(しかも意外と 高名なヒト)の存在が明らかにされます。それをどう受け取るかはひとそれぞれ でしょうが、私には、二人の合作であることが本書の質をさらに高めているような 気がしました。 因みに後半は付録的(といっても長いですが)に、「思いだすまま」という表題の 随筆のような回顧録がついています。
俳優陣の演技も素晴らしく、脚本もしっかり練られており、大変感動しました。
登場人物たちの本当は情けなかった部分や黒い部分に対して片目を瞑っているところもありますが、それはまあドラマですから。ですが、ドラマとしても史実としても十分堪能できます。
そして、先達が多大なる苦労をして独立、幸福、安定を得ようとしてもがいた末に創り上げた戦後日本に生きる私たちが、どのようにこの国を運営していくのかは、一人一人の民度に関わるのだと改めて考えさせられました。
−−この国はどうなるのでしょうか。 −−いや、次の世代である君たちがどうしたいかである。
ipodにいれて、大磯や鶴川へ行き、感慨に浸れた。 良い曲が沢山入っている。
戦後の宰相、吉田茂について、長女の麻生和子氏が書いた回想の本である。
娘という立場で吉田茂を見ていた彼女の、素直な感想が記載された良本である。
しかし、この本の価値は吉田茂という人物を最も身近で見ていた人が書いた本であるということだけにあるのではない。
すべからく、人物評というものは書く人の主観に過ぎない。 しかし、多くの人物評は普通、いかにもそれを客観的に記載しているかのような文章で書かれることが多い。
でも、彼女の文章は違う。徹底的に彼女の主観に基づいて書かれており、また、自分が書いていることが主観であることが分かるように良く配慮されている。「・・・のように思えます」「・・・のように見えました」といった、明確に自分の主観であることが分かるように記載されている。
著者のユーモアや語り口も素晴らしいが、それだけではない、読み手への真摯さが感じられる本である。
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