医者に向く人の3条件を他社の著書から引用し「丈夫な体、優しい心、まずまずの頭」と書いてある。私は医者ではないがわかる気がする。他の仕事でも当てはまるような? 単文エッセイなので読みやすいです。
2004年から2006年にかけて種々の媒体に発表されたエッセイ。
そんな訳で、初めて読まれる方にはある種繰り返しが多いように感じられるかもしれない。
臨床医師として、文学界新人賞、芥川賞と華々しい流れの中に身をおいた南木さんではあるが、終末医療に携わる中でストレス障害からうつ病へと体調を崩されていく。書くことも読むことも出来ない中で、徐々に、生かされている自分を見つけ出し、医師として、また作家として復帰する。個人的には病気から復帰後の作品に強く惹かれ、己の心の波長に同調する。
いくつかの心に残る言葉。
五十歳すぎてようやく日本史の勉強を始めている。そもそも日本という国名がいつから用いられるようになったのか。そのあたりを論じる書物を読んでいると、家の前の見慣れた田園風景すら微妙に様相を変えて身に迫ってくる。 p89
小説を書き始めたのは、医師になって二年目あたりで、人の死を扱うこの仕事のとんでもない「あぶなさ」に気づいたからだった。危険を外部に分散するために書いていたつもりだったが、それは内に向かって毒を凝縮する剣呑な作業でもあった。 p106
だから若月先生を「農村医学の父」だとか「現代の赤ひげ」と無邪気に称する気にはなれない。しかし、この病院に来なければ、高邁な理想と酷薄な現実が医療現場でどのように折り合いをつけるのか、という、大人としての最低限身につけねばならない教養(生きる知恵)を得られなかったと確信している。 p113
きのこ文学のファンの方はもちろん、広く文学を愛する方にお薦めしたい一冊。
よくぞここまで広くきのこ文学を渉猟し、名作を掬いあげたものである。ジャンルは、小説から詩歌、狂言にまで及び、今昔物語の世界から現代文学までをカバーしている。
中でも私には、萩原朔太郎、加賀乙彦、村田喜代子、八木重吉、北杜夫などの作品が印象深かった。
脳細胞の中に菌糸が繁殖していく感覚を与えてくれる作品群。「きのこ」の中に、人間の内面世界のほの暗く湿潤した部分と通底するものがあることを実感させられる。
更に愕くのは、本書全体がこれでもかといわんばかりに、凝りに凝ったデザインで満たされていることだ。一作ごとに紙質、色が違い、フォントが違い、レイアウトが違う。変幻自在のデザインを楽しむことが、掲載作品それ自身の味わいを倍加させてくれる。
飯沢耕太郎という存在がなければ、こうした本の刊行も現実のものとはならなかったに違いない。ぜひこの味わいを実感してほしい。
現在地方国立大学3年生医学生。 この小説は地方の医学部の実情をほぼ忠実に描いています。 ただ、現在では当時の新設大学もそれなりの設備もでき、ここまで何にもない感じではありません。 医学生は色々な悩みを感じています。 医学部に入るため、勉強漬けの毎日から、やっと解放されたと思ったら、実際の医療とはあまり関係ない授業の連続でやる気がなくなる学生が非常に多いです。 受験勉強以上に打ち込めることも見つかりづらいでしょう。都会から地方の大学に通っている、この小説の主人公のような人なら、凄く虚しい思いを感じてしまう人も多いと思います。 そんな悩みのある方は、この本を読めば、自分だけがこんな虚しい生活をしているんじゃないということを気付かせてもらえると思います。
南木佳士さんの自選短篇集であり、南木ファンにとってはお馴染みの作品ばかりなのだろうが、「草すべり」しか読んだことがない自分にとっては新鮮だった。 普段、ミステリや冒険小説などを読むことが多いので、最初、物語としてのテンポの違いに戸惑った。 しかし、読んでいるうちに、じわじわと染みてくるような私小説の深さに触れ、夏目漱石や森鴎外などいわゆる古典的名作ばかり読んでいた学生時代を思い出した。 私小説が身に染みるのは、年をとった証拠だろうか。
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