南国のDVDを捜し、これを選びました。家で一人で過ごすことが多いので、BGVで流しています。ゆったりと観たり、通りがけに見たりしています。ラグーンがこんなにも心安らかにしてくれるとは知りませんでした。リゾートの魅力の映像がこの上なく素晴らしいです。
写真家の「三好和義」氏は楽園写真の第一人者です。私は写真集は何冊か持っていますが、その感性は抜群です。天才と言っていよいかもしれません。南の島の自然写真を撮れば誰でもプロになれる・・と言うほど南国の自然風景は最高です。しかし、三好氏は誰でも撮れる写真ではなく楽園毎に見事な感性で撮り分けその島の特徴を見事に写真にしています。今回のモルジブは写真集ではなくDVDというメディアを使った写真とミュージックのコラボレーションが見事で、モルジブの自然を満喫できますしまるで映像を見ているかのような素晴らしい写真に脱帽です。また、DVDの機能を使用した解説や機材・ホテルの紹介も観賞後参考になります。
明治維新以降の日本の近代化については、封建制から脱却し、欧米に追いつくために、富国強兵の名のもとに一丸となって突き進んできた、というイメージがあった。 地方の下級武士を中心に多大な犠牲を払って幕府を倒し、廃藩置県、商工業・教育の強化充実、憲法制定など、“坂の上の雲”を目指して明治人たちが汗をかいて登っていった、と。 マイナス面としての武士の消滅(失業者の増大)、米納から金納になったことによる庶民の重税感、女工哀史、徴兵制、足尾銅山公害問題等も、近代化の流れの中では仕方ない部分もあった・・・・というイメージも。
しかし、本作を読むと、“仕方ない”ではかたずけられない多くの事実があることを思い知らされた。
伊藤博文や井上馨は確かに討幕運動では活躍した。 山県有朋もそうだろう。 彼らは死線をくぐり、命がけの働きをした。 しかし、明治政府の中枢に座ると、人間としての“地の部分”を露呈しはじめた。 維新に遅れて参加した佐賀の大隈重信もそうだ。 主要登場人物としては長州出身者が多いが、薩摩もクリーンというわけではない。
彼らは、三井・三菱などの財閥と結びつき、維新の主役藩たる薩摩・長州の藩閥闘争に利用しつつ私服を肥やした(彼らに、国のために貢献した面もあったことは、もちろん否定しない)。 西南戦争や日清戦争でさえ儲けのために利用していた。 そのやり口は、「近代化のためには、外国企業に負けないような国内企業を創る必要がある」といった大義名分の度を超えている。
これらを読みつつ考えるのは、西郷隆盛のことだった。 彼は征韓論で敗れて下野し、反乱者として死んだことになっているが、維新後「これでは維新のために死んだものたちに申訳ない」と言っていたというのは、上述した金権腐敗を指す。 “こんなはずじゃなかった”明治政府を立て直そうというのが、西郷の心中だったろう。 大隈や伊藤が西郷を嫌っていたのは、存在が巨大すぎる西郷(とその思想)のようなものがいたら、己の私的野望の邪魔になったからなのだ。
明治10年前後に相次いで死んだ、木戸・西郷・大久保の維新三傑のあとに残ったのは、志士としては二流三流の者たちであった。 長州の吉田松陰は、松下村塾の子弟に対し「僕は忠義をしようとし、君たちは功業をなそうとしている」と言い放った。 それは予言というより、“子弟”たちの本質を見抜いていたのだろう。
日刊紙掲載ということもあり重複する内容も散見されるし、章の組み立て上、出来事の発生順序が前後したりなどの点がやや難ではあったが、集中して読めた480ページだった。
この文庫本の帯には「政治腐敗の原点は明治期の藩閥政治にあった!」と書いてある。 スケールは小さくなったとしても、より巧妙に、その“流れ”は確かに、現在まで受け継がれているようだ・・・。
本書は私が尊敬してやまないチェ・ゲバラの一生が綴られています。 こういう本は著者の知識をひけらかすかのように難しい文章で綴られていることが多々あります。 しかし、本書はそういうことが全くなく、さすが直木賞受賞作家、とても読みやすい文章です。 ただ、そうなるとこんどは内容が薄っぺらいのではないかと心配してしまいます。 しかし、それも杞憂に過ぎません。 読みやすくかつ内容の濃い本書のような本は珍しくかつ貴重だと思います。 チェに関する本は現在日本でも多々出版されています。キューバ革命についてはもちろんのこと、彼が鬼籍に入ったボリビアについてのものも多々あります。 ただ、コンゴでの彼の活動について書かれているものはほとんどありません。 そんな中、本書ではそのコンゴでのチェの活動についてかなり詳細に綴られています。とても貴重だと思います。 本書はいろいろな意味で貴重な本ではないでしょうか。 ソレデハ…
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