浅井家再興を目指す少年が、医僧の弟子となって、戦場を疾駆する。 織田の勢力が日に日に強くなる時代にあって、浅井家再興は困難になる一方だと思われたが、少年に託された浅井長政の「遺産」の中身は意表をついていた。 浅井家再興が不可能であることが、少年の人生に新たな展望を開かせるラストは、非常に明るく、陰惨になりがちな戦国小説には珍しい。 ほとんと資料が存在しない、前近代の外科をそれらしく描写している著者の筆力は相当のものである。大声で経を読ませることが、弟子入りの「試し」だという序章の種明かしは、無麻酔の外科治療と絡めたネタであり、非常に感心した。
江戸時代の算法者の物語、西洋数学とは別に和算が発達した江戸時代のお話でした。
懸賞問題で優勝をさらわれた相手を探して江戸を出発した主人公がさまざまな問題に巻き込まれながら旅を続け最後に目的の相手を探しあて新しい解法を知って納得します。
算法の問題は理屈通りすっきりと答えが出ますが浮世の諸問題は理屈通りに行きません。そこで思い悩んで人間は成長する。タイトルの「理屈が通らねえ」はそういう意味だと理解しました
一気に引き込まれて読んでしまうほどの力作ではありませんが江戸時代の和算の事を実に良く調べている著者の知識に脱帽です。
■岩井三四二のコクのある時代小説7編を堪能した。
■「祗園祭に連れてって」は、応仁の乱の後33年間途絶えていた祗園御霊会(ぎおんごりょうえ)の山鉾巡行(やまぼこじゅんこう)を復活させるよう上層部から命じられた小役人・三左衛門の右往左往ぶりを描く。かなり昔に中断した祭なので皆記憶が不確かになっている。そして各町の結束や資金力がまちまちで、それぞれ難題を抱えている。おまけに比叡山延暦寺が妨害めいた圧力をかけてきた。近年の幕府とのいざこざが背景にあるのだ。果たしてこんな状況で無事に祭は復活できるのか――。現代の中間管理職の板ばさみの構図にも通じるものがあり、読者はほろ苦い共感を覚えること必至。
■「迷惑太閤記」は、年老いた加賀藩士・笠間儀兵衛が娘の見合い相手の青年を試すため、木刀で試合をする話。既に時代は戦乱の世ではなくなっているので、実際の合戦を生き抜いてきた儀兵衛にとって若い武士は皆腑抜けに見えて、苦々しい気持ちなのだ。そんな折、版本「太閤記」が評判になっていると聞き、自分が登場して活躍する情景がきっと描かれているはずだと期待して読んだ。がそこに書かれていたことは彼を激怒させる内容だったーー。
■その他の5編も味わい深く、読了後の充実度抜群。瀬戸内の海賊が登場する話がいくつかあって、興味をそそられた。
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